2020


ーーーー 11/3−−−− 今年のマツタケ


 
マツタケのシーズンが終わった。最初の収穫が10月3日、最後が26日だったから、24日間の出来事であった。今年は夏が長く、採れ始めが例年より二週間ほど遅れたため、当初はずいぶん心配したが、結果的にはそこそこ採れた。そこそこと言えば偉そうだが、我がマツタケの会としては、7年目にしてようやく笑顔が見れるくらいの収穫を得た。

 積雪期を除いて、年間を通じて毎週末メンバー5、6人で山に入り、整備作業をする。アカマツ林の地面に積もった落ち葉や落ち枝を熊手で掻いて取り除いたり、邪魔な木を伐採したり、藪を払ったりする。そういう整備をすれば、数年後にはマツタケが生えるようになるというセオリーである。

 そういう整備と並行して、8月から9月にかけては、林に散水をしたり、寒冷紗を張ったりという作業を、昨年あたりから始めた。気候温暖化の影響をなるべく防ぐための方策である。8、9月の降水量が多くないと、マツタケ発生に不利である。それを補うため、散水をする。9月になって暑さが戻ると、出かかったマツタケが止まってしまう。それを防ぐため、寒冷紗で日光を遮るのである。どちらもまだ実験的な規模だが、できることは何でもやるという方針である。

 整備作業を長年続けてきたおかげで、ようやくマツタケが生えるようになった、と言う話なら嬉しいが、そういうわけでもない。施業した場所で採れたマツタケは、僅かしか無かった。ほとんどのマツタケは、元々条件が良く、施業をする必要が無かった場所で収穫したのである。施業の成果が現れるのは、まだ先になりそうである。

 マツタケの発生を促すには、傘が開いたマツタケから胞子が拡散するようにしてやる事も大切である。ところが、競争で採ることになると、マツタケの頭が地面から出始めた「つぼみ」の時点で、見付けた人が採り切ってしまう。傘が開くまで待っていると、他人に採られてしまうからである。そうなると、胞子の拡散は期待できなくなる。

 そこで今シーズンは新たな制度を導入した。「つぼみ」の状態のマツタケに金網の籠をかけて、採ることを禁止するのである。そして、傘が開き、胞子の拡散を終えるまで、そのまま置く。こうすれば、他者に採られることを防げるし、猿や鹿などによる食害からも守れる。籠は10ヶ作り、最終的には全てを使い切った。

 最初の1本に籠をかけた時の感慨は、えも言われぬものであった。マツタケを発見すれば、その場で採ってしまいたいというのが自然な気持ちである。特にシーズン初めに、たった1本だけ見付けると、その場所では2本目以降は得られないかも知れないので、収穫したいという気持ちは抑えがたい。それをグッとこらえて、籠を被せる。その作業に際しては、まさに断腸の思いである。しかし籠がかけられたマツタケを見ると、別の感情が沸き起こった。自分はマツタケを採るだけでなく、マツタケを保護し、再生の手助けをしているのだという、高い次元の喜びが感じられたのである。

 籠をかける目的は、胞子の拡散が終わるまで保護する事だが、それ以外にもメリットがあった。マツタケの成長過程を観察できた事である。毎日のように山に入ってマツタケを探するのだが、そのついでに籠をかけた場所を順番に回って中身を観察する。するといろいろな事に気が付く。つぼみから傘が開くまで何日かかるか。傘が開いてから、マツタケはどういう挙動を取るのか。また、つぼみでは同じサイズでも、大きく成長するものもあれば、小ぶりで終わってしまうものもある。このような、マツタケの生態を観察できたのは、得難い経験であった。 

 

 

 

  

ーーー11/10−−− パエリアとサフラン


 伊那市高遠の山間地にある友人S氏のお宅には、年に何度か遊びに行く。遊びに行くと言っても、目的は酒宴である。花見と言っては酒を飲み、紅葉と言っては酒を飲む。ただそれだけである。お宅に向かう途上、茅野市のショッピングセンターで落ち合って、メニューの相談をし、食材を買い込む。調理はS氏の担当である。酒宴だから、料理は焼き肉とか鍋物が多い。

 あるとき、宴会の翌日の昼に、S氏が焼きそばを作ってくれた。その行為が、なんだかとても格好良く見えた。私がそれを口にすると、S氏は「ネットで調べればいくらでもレシピが出ているから、その中から適当に選んで作れば良いのだ。簡単だよ」と言った。

 私は料理と言うものをほとんどやったことが無い。カミさんが不在になることは滅多にないが、そういう時でも食事を準備してくれるから、自分で作る必要は無い。そんな私の事を、カミさんは「私が先に死んだら、困るでしょうね」などと言う。そのような脅しに屈したわけではないが、S氏の焼きそばを思い出し、料理というものをやってみる気になった。

 まず作ったのは、タンメンであった。何故タンメンなのかは、自分でもよく分からない。たぶん、簡単に作れそうで、しかも少しは個性が出そうなメニューだと思ったからだろう。それは、まずまずの出来だった。もっとも失敗する方が不思議なくらいの料理である。

 次にパエリアに挑戦した。一回目は、魚介類のパエリア。これはそこそこ美味しく出来上がったが、少しご飯が柔らかかった。二回目は、ベーコンのパエリアを作った。前回の経験を踏まえ、良く熱が回るようにかき混ぜながら、十分に時間をかけて炊いた。そのうち煙が出てきたので、まだ柔らか目だったけれど終わりにした。出来上がったものは、べっとりぐちゃぐちゃしたご飯で、これは失敗だった。カミさんからは、「炊きながら混ぜちゃダメよ」、と言われた。混ぜないと焦げそうだったと言い訳すると、「それは火力が強過ぎるからよ」、と返された。納得できるアドバイスである。鍋で白米を炊くときを考えれば、噴かない程度の弱火にするし、混ぜることなど絶対にしない。

 それにしても、水分の量が多過ぎる。パエリアの基本は、お米とスープの比率が1対2だと本に書いてあった。ネットでもそういう記述が多い。それを鵜呑みにしてやってきたわけだが、鍋で白米を焚く際には、そんな水分の量はありえない。おそらく、本場スペインで使う米は、日本の米と性質が違うのだと思う。にもかかわらず、国内の解説書は、本場のセオリーをそのまま取り入れているのではあるまいか。

 ところで、スペインでパエリアを食べたことがある。会社員だった頃、出張でパリに滞在した。ある週末、同僚二人と共にスペインへ旅行した。目的は闘牛を見ることだったが、その後に名物のパエリアを食べようということになった。多くの客で賑わっているレストランに入り、パエリアを注文した。出されたものを一口食べてぎょっとした。芯があるご飯、いわゆる「がんた飯」だったのだ。日本なら、お腹を壊すから食べてはいけないと言われるくらいの、中心は生米という感じのご飯である。それを、周りの客は楽しそうにもりもり食べていた。お国柄の違いに驚かされた。

 さて10月に、例によってS氏宅で酒宴を設けたが、事前にパエリアを頼まれた。私がブログに書いたパエリアの記事を読んで、食べたいと言うのである。軽トラにパエリア鍋を積んで出掛けた。いつものショッピングセンターで食材とサフランを買った。サフランが、ほんの僅かな量なのに値段が高くて、S氏は驚いていた。台所で具材を切り、炒め、スープを作り、鍋に全部入ったところで庭へ移動し、薪ストーブに乗せて炊いた。今回はスープの量を1.5にしたが、それが良かったようである。また、薪ストーブの火加減も最適だった。これまでで一番上手にパエリアが出来上がった。

 ところでサフランとは何物か。調味料として瓶に入って売られている物は、干からびた長さ2センチほどの赤い糸のような代物である。これはサフランと言う名の植物の花のメシベを摘み取って乾燥させたもの。

 我が家でもカミさんが育てているので、それを観察することができた。一つの花に三本のメシベがある。それを一つずつ手で摘まなければならない。1グラムのサフランを取るのに、100個以上の花が必要だそうである。だから高価なのである。

  




ーーー11/17−−− レンタカーで墓参


 
6月に亡くなった母の納骨のため、御殿場の富士霊園へ行った。納骨というものは、もっと速やかに行うべきものかも知れないが、コロナ禍のため控えていたのである。しかし沈静化する傾向が見られないので、規模を縮小して実施することにした。

 松本市に住む息子夫婦も誘ったので、人数は4人。我が家の軽四輪(ダイハツタント)では力不足なので、レンタカーを借りた。レンタカーを利用するのは、20年ぶりくらいである。5〜6人乗りのミニバンを予約した。使うのは一日だけだが、朝早く出立するので、前日の夕方借りることにした。未経験の車を、暗くなってから運転するのは不安なので、4時半に受け取りに行くことにした。性能の良い車を運転できると思うと、予約してから当日までの数日間、ワクワクした。

 受け取りに行ったら、レンタカー会社の応対はアバウトだった。車についての細かい説明などしない。キーを使わずにエンジンをスタートする仕組みがよく分からず、質問したら答えてくれたが、時代遅れの利用者の馬脚を現した。レンタカー慣れしている利用者なら、借りる時に訊ねるべきポイントを押さえているのだろうが、不慣れな私は何を聞いたら良いのかも分からない。相手のアバウトなペースに任せるだけ。運転して無事に自宅へ戻ったものの、バックミラーの調整方法や、ドアロックの仕組みなどを理解するまで、だいぶ時間が掛かった。ドアロックに関しては、ネットで検索して調べた始末。

 性能の方は、期待通りのものだった。エンジンのパワーが大きいし、パワステのハンドルの軽さは頼りないくらいだった。加速性能は、普段乗っている軽四輪と比べると、格段の違いがある。高速道路で追い越し車線を走ることなど、軽では下り坂の時にかろうじて可能なくらいだが、この車ならグングン追い抜ける。こういう車なら、長距離のドライブをしても、疲労は少ないだろうと感じた。

 借りた車は、5ナンバーのミニバンで、そこらじゅうで見かけるようなタイプである。誰もが普通に使っているような車である。一日使ってみて、快適であったことは間違いない。しかし、軽四輪に甘んじている生活を正当化するわけではないが、こういう性能が必要なのか?という気もした。

 高速を走るなら、確かにメリット大である。走行性能が良いし、室内は静かだし、万が一事故に巻き込まれた時の安全性も、軽に比べれば高いだろう。しかし、普段の生活で、市街地や農道を走るだけの使い方なら、我が家が使っている軽で十分と思われる。逆に、車体が小さいので、取り回しがラクである。室内は見かけより広く、座席が高いので視野が大きく運転がし易い。シートも使用感が良く、過去に岩手県の北の端から一日で穂高まで戻ったことがあったが、ひどく疲れることもなかった。高速道路における走行性能の低さと、万一の事故の危険性はあるが、割り切って左車線を80キロで走れば良いことだ。時間に余裕があるなら、一般道を走れば良いし、その方が旅の風情があって私は好きだ。

 大人数で長距離のドライブに出掛けるときは、レンタカーを借りれば良い。その時のニーズに合わせて車種を選ぶことができるから、かえって便利。普段と違う車に乗れば、気分も変わって新たな楽しさがドライブに興を添えるだろう。レンタル費用は掛かるが、車の購入代金と比べれば、僅かなものである。軽は維持費が安いから、相殺できる部分もある。

 各人、各家庭にはいろいろな事情があるだろうから、他人の事に口を挟むつもりは無い。立派な自家用車の魅力に無頓着な、いささか偏屈なユーザーの独り言である。





ーーー11/24−−− 水盤の中のメダカ 


 メダカを飼っている。もう何年も経つ。世代は交代しているが、現在の6匹はいまだになつかない。遠くから見ていれば、水盤の中で悠々と泳いでいるが、近づいて覗き込むと、サッと水草の下に隠れる。まことに可愛げが無い。いったい誰が餌をやっていると思っているのか。

 毎日餌を与えるのは私だ。水面にパラパラと撒くと、水草の下からオズオズと出てきて、暫く様子を見ている風だが、しばし後にパクパクと食べ出す。食べている間だけは、私が顔を近付けても逃げずに、食事に熱中する。現金なものである。

 いじめたり、悪さをするつもりなら、餌など与えはしない。そもそもメダカが嫌いで、憎むくらいなら、飼いはしない。生き物を飼うというのは、その愛らしさに心を寄せたいからなのだ。日々元気に暮らしてくれよと願いながら飼っているのである。だから餌もやり、水が汚れてくれば交換もする。

 飼い主のそんな気持ちも知らずに、メダカは狭い水盤の中で、飼い主の影に怯え、心配する必要が無いことにビクビクしながら暮らしている。こちらも勝手にやっていることだから、感謝してくれとは言わないが、少しは心を通わしてくれないか。

 おそらく彼らは、自分が暮らしている世界がこんなに小さいことを知らず、自分の力で思い通りの生活をしているつもりなのだろう。時折上から降ってくる食べ物が、自然現象ではなく、意志ある人間の行為によるものだとは、知る由も無い。自らの生存が、外部のどでかい者に支配されているなど、思いもしないだろう。

 良く言えば無知ゆえのけな気さ、悪く言えば一人よがりの愚かさである。

 しかし、人間社会も、神様から見ればこの小さな水盤の中のようなものだろうか、と時々思う。